学部長・学科長メッセージ

経済学科 学科長 川森 智彦


現代の経済学は、分析の対象を、貿易や金融といった経済に直接かかわる領域に止まらず、教育、医療といった一見経済に無関係に思える領域まで広げる「自由さ」を備えています。たとえば、経済学は、関税が貿易に与える影響や株価が決まる仕組みなどの経済に直結するトピックを扱ってきました。そのいっぽうで、幼児教育が成人後の所得の増加や犯罪率の低下にどれぐらい影響するかを計測しようとしたり、医療資源をどういった治療に配分するのが最適なのかを明らかにしようとしたり、してきました。このように、経済学は、(ほかの社会科学の領域に越境しているかのように見えるため、)時に「経済学帝国主義」と揶揄されながらも、分析の対象を人間の営み全般へと広げてきました。

そのいっぽうで、分析の方法については、論理的・数学的な推論、統計学的な検証、精密な史料批判といった厳密な方法に拘り、ある種の「不自由さ」を自らに課しています。数学などを用いて、現実を抽象化し、厳密な推論によって結論を導く。統計学的手法を用いて、仮説を現実のデータと照らし合わせ、その妥当性を検証する。史料批判によって、過去の記録を吟味し、事実を導き出す。経済学は、このような厳格な分析の方法を長い歴史の中で研ぎ澄ましてきました。(こういったことを経済学者である私が言うのは面映ゆいのですが、)洗練された分析の手法ゆえに、「経済学は社会科学の女王である」と言われることもあります。分析の方法こそ経済学を規定し、経済学の方法が採られていれば、分析の対象が必ずしも経済とは関係なくとも経済学たりうると言っても言い過ぎではありません。

この方法上の不自由さは、思い込みや独りよがりを排し、正しい結論に近づくために、課せられているものです。複雑な社会を分析する際、自らの直感だけに頼ることは、都合の良い結論を無理に導き、誤った結論に至る危険を伴います。こうした危険は、厳密な分析の方法によって軽減されます。論理的・数学的推論は論理の飛躍を除き、統計学的検証は現実離れした仮説を退け、史料批判は恣意的な解釈を防ぎます。経済学のような、方法に規定される学問領域はdisciplineと呼ばれることがありますが、disciplineには規律という意味もあります。経済学を学ぶ者は、方法上の不自由さによって規律付けられることで、誤った結論に至る危険を抑えることができるのです。

こういった経済学の方法を身に着けることは、人生において大きな力となるでしょう。目の前の問題に即応するマニュアルは、すぐに役に立つものの、問題が次々と変化する現代では、すぐに陳腐化してしまいます。それにたいし、経済学の方法は、即応性が低いため適用するために自ら考える過程が必要となる分、様々な問題に対応できる汎用性を持ちます。適宜アップデートは必要ですが、その基本的な枠組みは長い時間の経過に耐えうるものです。さらに、経済学の方法は、思考の型に止まらず、現実の制度を設計したり、ビジネスに応用したりできる、実践的な技術でもあります。経済学の方法は、一生使い続けられる道具となるはずです。

ルネ・デカルトは、真理を探究するには方法が必要である、と説きました。ヨハネによる福音書には、「真理はあなたたちを自由にする」とあります。真理は我々を(偏見から解き放つという意味で)自由にしてくれるいっぽうで、それを探究するには不自由な方法が必要になる。自由と不自由が真理によって結びつくこの逆説に、学ぶという営みの深さが示されているように思います。