在職期間:平成11年4月1日〜平成26年3月31日
自己紹介および研究領域に関することを書かせていただきます。
梅垣(うめがき)という苗字はあまり見かけません。祖父が京都府綾部市の出身で、当地では梅垣という名が複数あり、お互いに「梅垣さん」と呼び合っています。
京都市立松ヶ崎小学校、京都市立下鴨中学校、京都府立洛北高等学校、京都大学経済学部、京都大学大学院経済学研究科博士前期、後期課程を経てきました。8月16日の京都・大文字には、北山で妙法という文字が燃え盛り、家の前から妙の字が正面に見え、親族などが集まり賑やかに過ごしました。
大学までは、京都国際会議場がある宝ヶ池、宇治川、鴨川にモロコ、鮒、鯉などを釣りに行っていました。土曜の夜から日曜の朝には琵琶湖で夜釣りでした。卓球、テニス、ジョギングなどもやりましたが、今はアメリカンフットボール観戦のみです。アメフットが包容している、戦術、戦略における新たな革新を目指すという視点は、経済社会における、企業、個人などの革新(イノベーション)とも相通じるものがあり、観戦は同時にこのようなテーマを学ぶ機会ともなっています。
次に、研究テーマは、「経済システムと人間自然・土地自然」です。人間は、労働者であり、経営者であり、好況と不況、起業、倒産、失業、過労死などに揺れ動きます。土地は、公害、環境問題、野生生物の減少などの問題があります。通常、これらは人間対自然として、人間は自然を支配し、自然を汚し、かつ自然に支えられる存在として語られてきました。しかし、両者は、ある特有の経済システムに服属し、その特有の経済法則に規定される対象であり、その経済法則の改廃を迫る要因でもあります。
このテーマの発想そのものは、1976年に基礎経済科学研究所『経済科学通信』第15号に掲載された拙稿「資本制生産様式と人間自然・土地自然—『資本論』における分析の整理—」で公表しました。その後、フランクフルト学派、アルフレート・シュミットの説を批判的に組み込み、また、ウエークフィールド『イギリスとアメリカ』から近代的土地所有の権能を学び、1991年の単著『資本主義と人間自然・土地自然』(勁草書房)で一応の中間的まとめを行いました。これは、1年後、博士論文『資本主義と人間自然・土地自然—商品・資本・土地所有の経済学—』京都大学博士(経済学—論経博第134号、1992年11月24日)につながりました。最近では、共著、平野喜一郎編著『はじめて学ぶ経済学』(大月書店、2005年)で、「これからの経済学—共生の経済学からユートピアへ」をテーマとし、語り合いと孤独、平和と戦争、環境と経済などについて検討しました。また、2008年には、勁草書房より『経済システムと人間自然・土地自然』を上梓しました。現在、素直な気持ちとして、まことに「日暮れて道遠し」という実感です。しかし、前に歩みだす気持ちがある限り、歩みを止めてはだめだろうと思っております。
最後に、経済学の学習、研究を希望しておられる皆さんに一言だけ申し上げます。大学ノートをたっぷり用意し、経済学の大切な文献の抜粋ノートつくりを続けてください。古典であれば、K・マルクス『資本論』、「1857~58年の経済学草稿」、リカード『経済学および課税の原理』、マルサス『経済学原理』、『人口論』、ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』、ハイエク『隷属への道』、そしてもちろん、A・スミス『諸国民の富』、『グラスゴー大学講義』などです。読み進めつつ、自分で、鉛筆を走らせ、大切な箇所はノートに写し取る作業です。その抜粋ノートは、大部の古典も、凝縮された形で自分が摂取したものという実感を味あわせてくれ、自らが作る独自の研究世界を見ることとなるでしょう。
経済学は、この人間社会の様々な動機や、思潮や、社会システムの土台部分を構成する学問です。経済学の目を養い、それを通じて見えてくる現代社会が持つ特有の、複雑そうな、しかし、実にシンプルな実像を見つめてください。