学部長・学科長メッセージ

経済学科 学科長 伊藤 志のぶ


ある時、ゼミで第2次安倍晋三内閣の政策について、話し合っていました。すると一人が「首相が言うのだからそれで(低金利のままで)良い」という趣旨の発言をしました。さらに、「総理大臣になる立派な人」だから「その人が言うことは正しい」という論理が展開されました。謙虚に人の業績を認める姿勢は大切ですが、経済学のゼミで経済政策の是非を考えているのに、資料や立場の異なる意見には言及せず、まるで「ご神託だから正しい」、といったまとめ方をされてしまい話し合いが続かなくなりました。このところ、概して他の人の意見に質問や反論をすることが苦手な人が増えてきたようです。反論をすると相手の気持ちを傷つけるのではないかと心配する人もいます。政治的に支持するかどうか、という事とは異なる問題です。そこで、別の日にさらに詳しい資料を準備して、具体的な質問をしたり感想を聞いてみたりしました。話し合いを再開したのです。

 

その時の話題は、円安基調の始まりと金融緩和政策の始まりは同時ではなかった、ということでした。2012年の秋に、為替レートは円安基調になっていたのだから、2013年春の異次元緩和政策の御蔭で突然に円安・ドル高になったわけではない、という資料を共有していました。政治家や投資関連サイトが「黒田のバズーカ砲の御蔭で円安になった」という発言を重ねたため、ゼミではアベノミクスが為替レートを円安に「転換させた」という印象を持つ人が多かったのです。政策が円安に「転換させた」のかは自分で確かめなければはっきりしません。

 

アベノミクス以前の日本銀行の「政策委員会・金融政策決定会合議事録」を月次順に読むと、2012年7月には以後の円安が予測されており、10月、11月には基本的に「円安・ドル高」と受け止められていました。日本銀行の新総裁が2013年4月に行った政策は、このトレンド上にあるものでした。関連して、金融政策の有効性を保つためには下げ切った政策金利を、調整可能な可動幅を取り戻す高さまで戻しておく必要がある、と一人が紹介したところ、冒頭のような「政権擁護論」が出てきたのです。再開した話し合いの中では、為替レートや経済指標の時系列データを確認し、首相ではなく各自がどのように考えるかを発表して、ゼミは問題なく進行しました。

 

私達は自分の見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じがちです。そして、予測しない事実や、異なる意見に出会うと不安になります。不安は特定の人物への妄信、対立意見への攻撃、さらに差別や分断を生むことがあります。不安の解消には、対象を知り、客観的な資料(データ)を集めて中立的な立場で分析することが役に立ちます。大学は「教養」と呼ばれるこのような技術や知識を学ぶところです。経済学部ではゼミやフィールドワークのような双方向の授業を大切にし、皆さんと一緒に学び、先入観のない眼で観察し、考え、話し合いを重ねたいと思っています。