「20世紀末を特徴づけるのは、社会国家的[福祉国家的―筆者]に馴致された資本主義の構造的危機と社会を斟酌しない新自由主義の復活の兆候である。」これはドイツの思想家J.ハーバーマスが1997年に京都でおこなった講演の一節です。現在83歳のハーバーマスは、市民的公共性概念や「国家・行政システムと経済システムの複合体による生活世界の植民地化」のテーゼによって、現代を代表する思想家として広く知られていますが、今私が取り組んでいるのが、このハーバーマスの思想の形成と展開を明らかにすることです。
これまで私は1900年ごろのドイツの思想家たち(とくにM.ヴェーバーやG.ジンメル)を研究し、現代社会における社会関係の「物格化(Versachlichung)」が「人格(Person)」に対してもつ両義的性質の解明を試みてきました。それと同時に、企業中心社会としての日本型企業社会の社会学的分析をおこなってきました。男性労働者を終身雇用・年功型賃金・企業別組合を柱にして組み込んだ日本型企業社会は、この男性労働者が「稼ぎ手」として形成する近代家族を支えることにより、日本型福祉国家の中核を担ってきました。社会的セーフティネットの脆弱さと表裏一体になって、言わば企業中心のセーフティネット構築をおこなってきたのが、日本型福祉国家の特徴です。したがって、日本の福祉国家は企業福祉国家だと言えます。
1990年代以降、日本型福祉国家も、冒頭のハーバーマスの文章が指摘した時代状況に飲み込まれていきました。このことが、次のような問いを私につきつけました。すなわち、日本も含めた福祉国家型資本主義がグローバル化のなかで直面している事態はいかに歴史的にとらえることができるのだろうか、そして、私たちは福祉国家型資本主義を超えてどのような未来社会を描くことができるのだろうかという問いです。私は今、この問いへの答えを求めて、ハーバーマスと格闘しているところです。
20世紀後半期の福祉国家の時代とは、資本主義経済が生み出す不平等や社会的コストが、民主主義的立憲国家の正統化のために排除され、経済成長と社会統合との両立が実現した時代ですが、今日われわれが直面しているのが、この両立の終焉、つまり、福祉レジームの切り下げという事態です。このことを、ハーバーマスは、以下のように説明します。
国民国家はこれまでその正統化にとって有効な社会政策をおこなう大きな介入能力を有していたが、グローバル化という世界経済構造の変化によって、国民国家は自由に行動する余地を制限されることになり、超国民国家的な市場経済の社会的コストに対して十分に対処できなくなる。
ハーバーマスによれば、グローバル化の展開を思想的に支えているのが、新自由主義です。そして、ハーバーマスは、新自由主義が民主主義の将来に深刻な影響をもたらす、と考えます。国民国家の民主主義的意思形成の手続きは本来的には、その国家市民(公民)に対して、自己決定をおこない、自分の生活条件へ政治的に働きかける可能性を与えるものなのですが、グローバル化は、国民国家からその作動能力を奪うことによって、この民主主義的手続きを弱体化させていく、とハーバーマスはみなします。ではどうすべきか。ハーバーマスは民主主義的意思形成そのものが国民国家を超えていくことを主張します。国民国家がグローバルな市場経済の論理に追随して民主主義の武装解除をおこなうという状況を乗り越えていくためには、国民国家を超えた民主主義を構築し、それによってグローバルな経済を馴致すべきなのです。こうして、グローバルな資本主義経済が引き起こす不平等や社会的コストの解決は、国民国家を超えた新たな次元で目指されることになります。
今、ハーバーマスは、このような国民国家を超えた民主主義という「社会の民主主義的な自己制御の新たな形式」の実現を求めて、「世界政府なき、立憲化された世界社会」を構想しています。それは「諸国家と世界市民のコスモポリタン的な共同体」とも表現されていますが、そこでは人々は国民国家の市民であるとともに、世界市民としてスプラナショナルなレベルで民主主義的な意思形成をおこなう主体とならなければなりません。国民国家も「ナショナルな利害→インターナショナルな調整」というこれまでの自己了解を転換し、「立憲化された世界社会」のメンバーとして、世界憲法にしたがう意思決定をおこなわねばなりません。この時、「さまざまな強制を互いに負担しあうコスモポリタン的な連帯意識」が開花すると、ハーバーマスは期待します。
このような壮大な構想をもって、現在、ハーバーマスはEUと向き合っていますが、私は、彼の思想の全体像へ思想史的にアプローチするとともに、これからの日本社会の在り方を、ハーバーマス的射程のなかで考えていこうと思っています。