産業競争力は、先進国、途上国ともに、持続的経済発展において重要な意味を持つ。タイ・マレーシア等のASEAN中進国にとって、いかにして産業競争力を高めるのか、自国の技術力を高めることが最重要課題となる。タイは2000年以降ASEAN域内のみならず、世界市場に向けた輸出基地としてASEANの自動車産業の中核地となりつつある。特に日系自動車メーカー・サプライヤーのタイへの進出・集約が進み、タイがASEANでの自動車関連技術形成のハブとしての役割を果たしつつある。
知識集約的産業に構造変換を目指すタイ・マレーシアは、ASEAN 諸国の中でも特に日本からの直接投資により自動車産業が促進され、集中的に技術・技能の形成を進めているが、その形成速度や技術内容は限定され、人への技術・技能の形成が追いつかない状況である。とりわけ自動車産業を支える部品産業の自国の技術力・技能力向上は急務である。
このような背景において、私は、人への技術・技能形成を主な研究テーマとして長年取り組んでいる。1980年代後半から1990年代、日本の自動車メーカーが活発に海外進出を進めていた頃、私は自動車メーカーの人材開発部に勤務し、アジア各国へ新たに建設される自動車工場に採用された現地技術者・技能者の教育担当をしていた。その時に持った疑問は、国によって研修を受ける態度、意欲に大きな違いがあることである。ある国からの研修生は貪欲に技術・情報を吸収しようとし、秘匿分野にまでできる事なら立ち入ろうとする。しかし、ある国からの研修生は資料を渡してもあまり熱心でなく、資料を忘れて帰ってしまう事もあった。なぜ国によって技術習得力、または研修を受ける態度や意欲に差があるのか? これは国の技術力と関係があるのか? この点を中心に、現在まで「人」を中心に国の技術力について調査を続けている。
現在は、研究開発(R&D)部門に携わる技術者、生産管理・保全・品質管理技術者を中心に技術移転・技術形成の過程を過去の調査対象者にさかのぼり、追跡調査を進めている。その技術者たちが技術指導者となり、技術移転・普及・波及の成果とどの程度関連しているのかを中心に、彼らの教育歴・職歴・転職歴、担当職務歴、民族的背景・家庭環境、モチベーション、技術指導者としての実績・意識等も併せて調査分析している。
技術移転については数多く研究され、技術開発論、多国籍企業論、国際経済学等の分野から派生し、実証研究が様々なフィールドにおいておこなわれている。技術移転論は確立した定義を形成した研究というよりは、多様な産業における多様な技術形態を実証的に研究したものが多い。歴史的に見ても技術移転の問題が注目されてきたのは1960年代からであり、植民地支配から独立した国々への先進国からの工業技術移転と米国における軍事技術の民用への移転について研究されてきた。1960年代以降はアジア各国が植民地支配から相次いで独立を果たし、その後の自立のため、農業中心国から工業化による経済発展を推し進めた時期である。
近年においては、技術移転は国際間(国内間も含む)の技術知識の移動(Lall 2001)であり、直接投資が発展途上国への技術移転において重要な役割を占めている(Johnson 1982, Freeman 1987)。しかし、実際技術がどの様に移転・普及していくのか、その過程分析が重要である。直接投資からどの様に技術移転が起こり普及されるかを研究したものによると、垂直的、水平的、人の移転に集約される (Brooks, 1967, Manesfield, 1975)。垂直的技術移転は技術がより一般的な段階から実用化されていくプロセス(Brooks, 1967)であり、多国籍企業の部品や材料のサプライヤーや、顧客を通して垂直的に技術を連鎖することで、多国籍企業がホスト国に産業連鎖による利益をもたらす(Blomstrom et al 1999)。水平的技術移転は技術が最初に開発された用途とは異なる用途に応用されるプロセス(Brooks, 1967)で、現地の同業者や同産業従事者が多国籍企業の参入により競争を強いられ、生産過程や技術を模倣することによる水平連鎖的な技術移転である。人の移動による技術移転は、多国籍企業で研修訓練を受けた作業者が現地企業への転職等により、または自ら起業することにより技術を継承していくことであり、個人レベルでの技術移転にまで注目する必要がある(Agmon and Glinov, 1991)。
このような学術的背景において、私は1980 年後半からタイ・マレーシアからの自動車技術研修者教育に研修担当として携わり、それ以降継続調査を行っている。1996年から2000年にかけてマレーシアの自動車部品産業における技能形成の調査を行い、その結果をSadoi, Yuri (2003) Skill Formation in Malaysian Auto Parts Industry. Bangi : UKM Press として出版した。この中では数万点に及ぶ自動車部品を現地国産化された時期を調査し、更に、機能・製造技術別に技術難易度を分類し、難易度別の技術に携わる技術者の技術形成の過程を調査し発表した。自動車企業の研修に長年係わり現場に精通してきた事が独自の分析方法を可能にしたといえる。同様の調査をASEAN 各国に広げた共同研究で、共著Busser, R. and Sadoi, Yuri. (eds) (2004) Production Networks in Asia and Europe- Skill formation and technology transfer in the automobile industry. London : Routledge ASEAN —各国の技能形成と自動車産業政策について—を発表した。さらに、2007年からはタイ自動車部品産業における設計開発技術者の技術形成過程分析を行い、2008年にはMultinationals, Technology and Localization : Automotive Firms in Asia. New York:Routledge を、2012年にはInnovation and Industrialization in Asia. New York: Routledgeを発表した。