経済学の根本には、個人の利益が社会全体の利益になるという考えがあるんです。

産業社会学科 准教授 門 亜樹子

個人の利益が、社会の利益になると考えられています。 会社が利益を出せば世の中のお金が会社に入ってしまい、消費者が持っているお金が減るんじゃないかと心配になりますね。ところが、経済学の父アダム・スミスは個人(会社)が利益を追求すれば、必然的に社会全体の利益をもたらすと唱えました。そして政府が商業を保護せず、市場で自由に商人たちを競争させることで経済発展を促しました。
競争すれば売り手は自分の利益を出すために、「どんなものが売れるかな」「どうしたら買ってもらえるかな」と買い手の気持ちを考えるようになります。また人は他人の助けなしには生きられません。仲間の助けを借りるために、相手にとっても得があるように働きかけます。つまり、自分の利己心を満たそうとするなら、自分と他人が互いに「得をした」と言える状態を作らねばならず、それが社会の利益になるのです。

同感という道徳感情が社会の調和と発展をもたらします。 とは言うものの、私利私欲を追求していたら社会の秩序が乱れるのではないかと不安になりますね。アダム・スミスは私的な利益を追求しても「見えざる手」によって自ずから調和が生まれ、社会全体の幸福につながると伝えています。「見えざる手」の基礎となるのが「同感」という道徳感情です。または責任やモラルとも言える「人間らしさ」です。それらが利己心にもとづく行動を内面から規制して、私利と公益の調和が保たれるというのです。スミスがこうした経済論を唱えたのは18世紀。キリスト教において人間の欲望は罪とされる時代に、利己心に新たな意味を持たせたことは画期的でした。ところが現代では、持続可能な社会づくりなど経済学が考えるべき範囲が広がっています。個人の利益が未来の利益にもなるように、新しい形の経済発展が望まれています。