学部長・学科長メッセージ

経済学科 学科長 松尾 秀雄


山登りが好きな方も多いのではないか。私の机に積まれた本のなかにも、山に関するものが少なくない。そこで考えた。「経済学は山である」という視点から、ひとつ面白いことがお話しできそうだ、と。

先日、ある発表を聴く機会があった。資本主義の経済には調子の良い時と悪い時がある。調子の良い時は経済学の出番はない。調子の悪い時はその原因を探求して、治療薬まで用意しなければならない。調子が悪いのは購買力が不足しているためであり、国家が赤字財政覚悟で労働者を雇い入れて、公共事業を行えばいいのだ、と。

この山を仮にケインズ山と呼ぼう。その頂上では、世界大恐慌からの経済の回復は政府の財政支出の賜物だと得意げな経済学者がいた。しかしすぐに第二次世界大戦が勃発し、世界の諸国家は戦争経済の真只中に突入した。戦後の1970年代になると二度の石油危機が経済をおそった。その後はインフレになっても経済が不調のままのスタグフレーションという暗雲に山頂が包まれた。人々はケインズ山から下山するしかなかった。

私も経済学を始めるにあたり、どの山が一番魅力的か、どの山登りが最も正しいか、真剣に考えて、人間や社会全体の幸福を謳ったマルクス山が世界一の霊峰だと考えて登り始めた。登り方は宇野弘蔵の踏み跡を辿ることにした。毎週のゼミナールが登山の仲間であった。宇野という学者は、景気循環を通しての資本主義の自立性が証明できると考えた。しかしながら、資本主義を肯定したわけではない。労働力の商品化という無理は社会主義の社会で解決されるというマルクス山全体の共通の方向性を有していた。社会主義の建設が本格化するなかで、市場経済を廃して計画経済で社会と経済が運営された。しかし人々の幸福や自由な経済活動を社会主義国家の強大な権力が締めつけてしまった。社会主義は崩壊し、この山のどこかにいた学者たちも緊急避難は必要であった。

三番目の山はメンガー山と呼んでおこう。人間の経済活動は最も基礎的な最小単位にまで分解できる。そしてメンガーはその単位を数量的に把握できるとし、数式モデルへの道を拓いた。しかし人間の主観的な満足度を数量に還元するのは無理、無意味であろう。さらに市場での価格競争関係では、人間と人間のつながりが見えてこない。敗者や失業者を競争の敗北者として突き放してしまうことも適切ではない。この山の頂では社会の調和という視界が不良に遭遇するであろう。

そのほかにも多くの山がある。未踏峰もあればまだ造山活動の途上の山もある。歴史学派の山、制度学派の山、進化経済学の山もある。正解は幻影のように現れては消える。要するにユートピアではなく現実の社会と人間を直視しているかが重要なことだということである。山登りほど楽しいものはない。